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2018.12.27

景観まちづくり市民教室

設計課の山下です。

つい最近、鹿児島市主催の「景観まちづくり市民教室」に参加してきました。

住宅を供給する立場のものとして、「景観まちづくり」は、とても興味ある課題です。

市民教室を通じて感じたことを、多少、消化不良のところがあるかも知れませんが、お知らせしてみたいと思いました。

 

 景観を考慮せず、ただやみくもに建築物を造る事は、明らかに間違いです。

例えば、京都当たりでは、著名な神社仏閣の近傍にインバウンドを見込んだホテルが林立している現状があるそうです。また、大文字の送り火の、町中からの展望を確保する為、送り火の見えるある角度において、建築物の高さの規制があるそうです。

鹿児島においても、知覧や出水の武家屋敷群や、地方の棚田の保存等、景観保存の必要性は必須であると思われます。

 

しかし、「景観まちづくり」と言うと、すぐに条例による建物の高さや、外観色等の規制が頭に浮かびますが、事はそのように単純ではなさそうです。確かにある種の形式的規制は必要であります。乱開発における無限定の町の膨張は、決して快いものではありません。

しかし、ヨーロッパにおけるような、中世の町並みや、石造りの街並みが保存されれば、それですべて良しではありません。なぜなら、それらは過去の町であるからです。

現代における町並みは、人間活動による生産の成果物としての側面があるからです。

 

中世の街並みもできた当初を考えれば、当時の人々のビビッドな生産活動によって生まれたものであります。

ですから、時代が違うにもかかわらず、その形だけを真似ても観光スポットとして残すのならともかく、それは快適な街づくりにはなりません。

 

例えば神社仏閣の街並みの中に、鉄とコンクリートでできた建物であっても、そのデザインによっては周囲の環境と融合し、面白い雰囲気を醸し出す場合もあるのではないでしょうか。それは「まち」が人間生活と融合するように、対立しない、例えば「共生の空間」を持つ「まちづくり」なのかもしれません。すなわち単なる高さ制限や、色彩制限のような形式的な規制のみではなく、歴史上の建物も現代の役割の中で捉える、しっかりとした目的を持った規制、審査であるべきです。これは行政だけではできません。行政と市民が一体となった、あるべき未来の街を見据えた、目的意識的活動が望まれるものだと思います。そしてその一つの判断基準は、そこに住む住民にとって、その町の造りが、居住して快いものであるのか、他に誇れるまちづくりであるのかではないでしょうか。

だからこそ、「景観まちづくり」は市民参加型であるべきという事なのでしょう。今回の市の主催の意図も納得がいく一日ではありました。

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